ロンドンから南に一時間ほどいくと、海辺の保養地Brighton(ブライトン)がある。イギリス国内では気候もマイルドで、生活も比較的豊かな地域である。私はその前三カ月をアリゾナで過ごしていたから、水のある暮らしはありがたかった。
観光名所としては、PierとかRoyal Pavillionが有名であろう。バーミンガムに住んでいた友人が訪ねてきてくれたとき、「ここはイギリスじゃな〜い」といったほどアメリカ的な要素もあるのだが、私からすればまだまだイギリスである。また、最近では音楽をはじめとする新しいカルチャーが出てくる街としても知られている。世界各所(もちろん日本にもにも)に支店を持つBODY SHOPもこの街が発祥の地だ。
ロンドンは宿も高いので、このあたりに泊って一時間かけてロンドンに出張していくなんてのも、観光の人にはいいんじゃないだろうか
「地球の歩き方」にさえ出ていない田舎町なのだが、一カ月ほど住んでいた。ノルマン人の征服の頃からあるという城の廃虚なんかもあり、歴史的には重要な場所らしい。一方で、かの「グリーンピース」が生まれたのがこの町だという。
下宿の裏にはhay fieldが広がり、私はすっかりHay Fever(アレルギー性鼻炎)にやられてしまった。しかし、夕方にあの辺を散歩するとちょっとは和んだものだ。庭にはリンゴの木があり、実がぼとっと地面に落ちるのを見て、「ここはニュートンの国なんだなあ」などと感動したりもした。
「英語力犬以下事件」が起こったのも、この下宿であった。大家が犬を飼っていたのだが、ある晩大家が犬に何事か命令した。私は彼女が何を言ったのか全く理解できなかったのだが、犬は命令にしたがって行動していた。とても悲しくなった。今でも、British Accentを聞くと拒絶反応を起こしてしまうのであった。
しかし、こんな町でも日本人がホテルに泊まっていたりするのにはちょっとおどろいてしまったなあ。
一応Brightonの一部ではあるんだけれども、大学(University of Sussex)の所在地でもあったし、その中の寮にも一カ月住んでいたので特別扱い。
Brightonの遥か東に、Eastbourne(イーストボーン)という街がある。やはり港町なのだが、Brightonなんかよりも、はるかに落ち着いた街だ。その郊外にあるのがこのSeven Sistersなのだが、白亜の断崖がそそり立つ実に美しいところ。イギリスの水道水を沸かすと、白いチョークの粉がべっとりやかんの中についたりして、結構気味悪いのだが、これがいい方に出たのがSeven Sistersな。まわりの遊歩道も整備されていて、南イングランドを満喫するには最高の場所。おすすめ。
さて、この写真を撮ってから6年後のエイプリール・フールに、私はこの地のことを、ある一本の外電から思い起こすことになる。その事件とは・・・。
その日、BrightonのあるFM局のDJがこんな事を言ったそうだ。「あの悲劇のタイタニック号が再建造された。Sussexの海岸線で航海中のところを見れるよ!」。これを真に受けた人々がBeachy Headという崖の上に集結した。そう、わたしがこの写真を撮ったその場所である。ところがこちら側も白亜の崖、数百人集まった群衆の重みに耐えかね、崖にクラックが走った・・・。
けが人は出なかったものの、地元警察の怒りはかなりのものだったらしい。タイタニックがアメリカにむけて出港したのは、Brightonから少し西に行ったサザンプトンだったはず、そういう意味では正にご当地ネタではあったのであろうが。
私はアメリカびいきな人なのだが、短期滞在ならやはりアメリカの方が社会構造的にも制度的にも圧倒的に住みやすいと思う。物価が高いことや、外で食う食事はもちろん、スーパーで手にはいる素材なんかでも、やはりイギリスはちょっと見劣りしたなあ。
ただ、日本が近いという感じはした。ロンドンまで出れば、日本語の食糧も本も手にはいるし、大抵の用は日本語で足せるし、旅行者は大勢いるし、ラーメンも食えた。その地域になじみきってたくましく暮らしている日本人の方々からは情けなく見えただろうが、一方でこういう心境は旅行者には絶対わからぬものだと思う。
追記:上記のラーメン屋は、1999.8に行ってみると、回転寿司屋になってました。ちょっと、ショックでしたよ。
追記の追記:回転寿司屋になっていたのは別の店だったようだ。2001.8に新婚旅行でロンドンに立ち寄った。ラーメン屋であることに変わりはないが、店名は変わっている。でも、昔の名残を発見!それが、左の写真である。「はみね」の文字が読めますか?