渡辺美里ってどんな人?

「セブンティーン」のコンテストがきっかけで、「白井貴子の妹分」として1985年にデビュー。1980年代後半というのは、まさにこのお方の時代だった。しかし、90年代半ば以降に急激に失速。教祖であり続けることを自ら断ち切って、新しい世界を拓くことはできなかったんだろうか?

 

渡辺美里ライブ@横浜新港埠頭 (2007/7/29)

ある日妻から「これ行っておいでよ」と手渡されたのは、横浜・新港埠頭での渡辺美里のライブのチケットだった。20年続いた西武スタジアムでのコンサートに一昨年区切りをつけての、新たな夏の定期ライブらしい。86年の第一回から何年か西武スタジアムに通った僕としても、15年ぶりくらいの彼女のライブだ。で、どういうライブだったかというと・・・

美里さんはほんとに上手くなったなあ、という印象。高音域の伸びは、さすがに落ちたか。大江千里系の曲の人気は根強く、小室系の曲は”My Revolution”を除くとさっぱり、ということもわかった。しかしもっと面白かったのは、観客ウォッチ。「君達、渡辺美里以外の音楽をほとんど聴いてないでしょ」という感じで、宗教の集会にまぎれこんでしまったかのようだった。問題発言なのは承知で書くが、このファンが20代までの彼女を育て、このファンが30代以降の彼女を駄目にしたのだと痛切に思う。(自分も含めてだが)アーティストを育てられるような実力はないファン層だったということだ。白井貴子さんとかEPOとか、僕が今いいなあ、と思うベテランたちは、良くも悪くも古くからのファンを裏切るような、音楽的な大転換をしている。成長しないからついてくる、あるいは成長することで離れていくファンより、成長してもなおついてきてくれるファン・成長したからこそ新たに付くファンを大事にすれば、きっと違う展開があるのに。

しかし20年前に高校生くらいだった彼ら・彼女たちが子連れで来てるのを見ると感慨深い。僕が一緒にスタジアムライブに行っていた人たちとは音信不通になって久しく、既にこの世の人でなくなっている人さえいる。そう考えると、僕があの日見ていたのは、渡辺美里でも観客でもなく、きっと自分自身のこの20年だったんだろうな。

渡辺美里、”My revolution” (1986)

この曲の発売は1986.1.22、石野陽子が出ていたTBSドラマの「セーラー服通り」で使われた曲だ。この曲を初めて聴いたときの衝撃は忘れ得ない。PV以外のテレビで渡辺美里を最初に見たときのことは、はっきりと覚えている。当時のランキング番組の最高峰だったTBSの「ザ・ベストテン」初出演のときだ。発売直後が最高で上位からは2-3週で消えてしまうような現在とは違い、当時のチャートアクションはゆっくり上がり、ゆっくり下がっていくのが主流。渡辺美里はランクインした最初の数回は出演拒否をしてから、何週目かにどこかのライブ会場から初登場したのだが、緊張のあまりがちがちになっていたのがテレビでもはっきりと見てとれ、歌の出来も芳しいものではなかった。強がっている19歳、という感じだったが、それでも初めて見た動く渡辺美里には感動したものだ。
それから20年、初出場の紅白でこの曲を聴いてから三時間と経過していない。その時間だけチャンネルを譲ってくれた嫁に感謝。デビュー20周年だった2005年を締めくくるにはふさわしい舞台だったのだろうと思う。久々にテレビで歌っていることを聴いたけれど、その堂々とした様子に、ダメダメだったあの日のベストテンのことをふと思い出した。最近セールスがちょっと持ち直してきている彼女も、先人の白井貴子EPOのように、売れた時期を過ぎても歌い続けたことで、静かだが強いメッセージを送ることが出来るようになったということか。しばらく渡辺美里ウォッチをさぼっていた僕だが、また注意を向けてみようと思う。

渡辺美里、紅白初出場に驚く

今日発表になりました。BSの「真夜中の王国」とか、渡辺美里とNHKとの結びつきは近年強かったはずなのに、なんで今さら、とも思うのだが。例の話題のスキウタの投票結果に”My revolution”が入っているので、おそらくこれを歌うのだろう。今年はユーミンも出ることだし、ついつい紅白見てしまうだろうな。

渡辺美里、”Big Wave” (1993)

一見してわかるように、ジャケットのアートワークがこのあたりからがらっと変わってきた。

正直、このアルバムは「外れ」。「いつかきっと」が辛うじていいかな、という程度。「さえない20代」とか“Audrey”なんか、メロディーもアレンジもすごくいいのに、歌詞がうまく乗ってないんだよなあ・・・。声質がマッチしていないというのも大きいかもしれない。

渡辺美里、”Tokyo” (1990)

このアルバムを聞いたとき、なにか転機が来たのかな、と感じた記憶がある。「サマータイムブルース」「第三京浜選んだ・・・」という歌詞が出てくるのだけど、たしか渡辺美里が免許取って、自分で運転しはじめた直後だったのではないかと思う。ささいなことなんだけど、高校時代をひきずった歌からちょっと抜けたのかな、と感じたのであった。でも、この曲は未だに聴けるいい曲だ。

あともう一曲挙げておくと“Boys kiss Girls”である。歌詞はどうにも馬鹿らしいのだが、村田和人らが参加したさびの部分のコーラスワークが素晴らしいのだ。短いフレーズなのだけれど、とても強烈。佐橋さんのギターもいいね。でも。岡村靖幸の色が強く出たアルバムで、そういう意味ではちと苦手。

渡辺美里、”Ribbon” (1989)

「センチメンタルカンガルー」がとても懐かしい。「雲行きが怪しい」などと歌っているのだが、この年の西武球場は雷雨で途中中止になった「伝説の」ライブだったはず(私は、現場にいました)。「恋したっていいじゃない」もいい曲だ。たしか、このアルバムが出る前の冬の代々木プールのコンサートで、ちょっとご披露されていた記憶がある。

「彼女の彼」は、珍しく歌詞が気に入った曲だった。”eyes”の「悲しいボーイフレンド」に繋がる世界かな。佐橋さんのギターが、またいいのだ。

「さくらの花の咲くころに」もいい曲。「シャララ」も、アレンジワークがいいね。

渡辺美里、”Flowerbed” (1989)

アメリカ録音が一部で行われて、TOTOのPorcaro兄弟とか、Rick Marottaとか、「おおお」という顔ぶれも参加したアルバム。大江千里作曲の「すき」であるとか、「跳べ模型ヒコーキ」あたりがおすすめ。

「やるじゃん女の子」とか「一瞬の夏」とか、今聴いても音の作りはいいなあ、と思う。しかし、歌詞がうまく乗っていないなあ、と他方で感じてしまう。当時はうまく気持ち的に入り込めたのだけれどもねえ・・。

渡辺美里、”Breath” (1987)

“Boys Cries(あの時からかもしれない)”で決まり!というアルバム。佐橋佳幸氏のアコギのカッティングが、ひたすらにかっこよい。この曲を提供しているのは、後にSPEEDを手がけることになった伊秩弘将で、これがソングライターとしての彼の浮上のきっかけになった。“Happy Together”のさびでのコード進行は、CSNの”Judy Blue Eyes”と一緒で当時から笑えたが、今聞いてもまだ笑える。

当時とても気に入っていたのが、ちょっとだけジャズフレーバーの「Milk Hallでお会いしましょう」。タイトル曲の“Breath”も、(歌唱力のあらは見えるが)素晴らしいバラード。“Pajama Time”は、青春路線がうまくつぼにはまるいい曲。

渡辺美里、”Loving you” (1986)

“My Revolution”の大成功を受けて出された二枚目。無理して二枚組に仕立てあげたため、質的には低い仕上がりになってしまった。しかし、このアルバムのタイトル曲である“Loving you”だけはぜひ聴いてほしい。シングルカットされなかった曲だが、日本語で歌われたロックバラードの中でも、特に優れたものとしてお勧めしたい。

渡辺美里、”She loves you” (1995)

アルバム単位でおすすめできるのは、上記の”eyes”くらいである。これには仕掛けがある。特に三枚目以降、彼女自身はR&Bやfunkっぽい音へ傾斜してアルバムにはそういう曲が多く収録されている。しかし、シングルで当てたのは大抵がアメリカンロック的な曲なのだ。単純に私はアメリカンロックの音が好き。であるからして、ベスト盤の方が安心して聴けるのだ。というわけで、デビュー10周年記念のベスト盤。めぼしい曲はすべて入っている。

しょっぱなの「世界で一番遠い場所」が好きだった。この曲はこのアルバムのための書き下ろしだったはず。ちょうどアリゾナに住んでいた頃、買い出しに出かけたロサンゼルスのリトルトーキョーのヤオハンでこのアルバムを買い、日本から遠く離れた場所で毎日この曲を車の中でかけていた。

もちろん、名曲“My revolution”も収録されている。「サマータイム・ブルース」とか「真夏のサンタクロース」もいい曲だった。「夏が来た」とか“10 years”はあまり好きな曲ではなかったけれども、何故か痛烈に西武球場が思い出される。

渡辺美里、”eyes” (1985)

彼女のデビューアルバムであり、かつ彼女の最高傑作。この頃に女性ロッカーが出始めていて、当時の教祖様は「六本木心中」で当てたアンルイス。これに対して地道に人気があったのが白井貴子で、渡辺美里は「白井貴子の妹分」として売り出されたと記憶している。同時期に中村あゆみや小比類巻かおるが出てきたという時代であった。

このアルバムの中では、“Growing up”「すべて君のため」「悲しいボーイフレンド」、そしてタイトル曲の“eyes”が秀逸。曲を提供しているのも、小室哲哉・木根尚登のTM勢、大江千里、岡村靖幸、白井貴子と豪華な顔ぶれ。特に小室哲哉が重要な役割を果たしていて、彼自身にとってもプロデュース業で最初に収めた大成功だったと記憶している(TMが商業的に成功したのはこの数年後)。

これ以後のアルバムと比べると、シンガーとしてのテクニック的には劣る。速い曲では若さに任せて勢いで歌いきっているけれども、特にスローな曲であらが目立つ。しかし、声が圧倒的に若いのだ。これが何事にも代え難い!そして、このアルバムの翌春に、あの名曲“My Revolution”が出て(「セーラー服通り」で使われたんだな)、渡辺美里は時代の寵児になっていくのであった。